ピッピ、そよ風に乗って

6畳1kひとり暮らしゼロからの再出発で50までに人生挽回を目指すブログ

※訳あって匿名希望です

22年前の今日は何をしていたのか

マーキーさんのラジオで22年前、あなたは何をしていましたか?

というテーマでリスナーとお話しされていました。

私は寝ていました。

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震災の1年半ほど前、私は音楽の仕事から足を洗おうと印刷会社に入社して働いていたのですが、前に勤めていたライブハウスの仕事も時々続けながら、ボーカル仲間の助っ人をしたりしているうちに、祇園にある最後の20セントというライブハウスでのレギュラーの話が舞い込んで来て、結局1年で印刷会社を退職し、レギュラーボーカルとして毎晩歌っていた頃です。 

 

だから、仕事が終わるのは夜中の1時とか2時。

それから一人暮らししていた部屋に帰り、倒れる様に寝ていました。

いつも起きるのはお昼過ぎ。ひどい時は夕方でした。

 

あの日は朝の6時前に地震が発生しました。

 

かなり寝ぼけていて何が起こったのかわかっていませんでした。

揺れが納まったらまたすぐ寝ていました。

 

昼過ぎに起きてテレビをつけたら、大変な事になっていて驚きました。

私の部屋には熱帯魚の水槽があって、少し水がこぼれた程度の被害でした。

その頃は今より広い部屋に住んでいましたよ。

6畳の寝室に8畳のダイニング、キッチン。バストイレはセパレートです。

 

祇園までは車で通ってました。

車は清水寺の駐車場にとめて、そこから歩いていました。

他の人もそうしていたので。

 

その日はたしか、出勤したと思います。

でも、余震があったり、お客さんがほとんど来なかったりで早じまいだったんじゃないかな?

 

演奏中も大きな揺れがあったら怖かった記憶があります。

薄暗い古いビルの6階ぐらいだったから、しばらくの間、ずっと怖かったです。

 

そんな感じのライブハウスでバンド稼業をしている人同士のつながりは結構あって、数十人ぐらいで集まって都雅都雅というライブハウスでチャリティーライブをしました。

前の店の女の子と一緒に何かの曲のコーラスをしたような気がするけれど忘れました。

 

一番印象深いのは演奏中の揺れの恐怖です。

ぼろいビルが倒壊するんじゃないかという。

 

ライブハウスのレギュラーの仕事は結局、1年で終了し、その後はホストクラブや他のボーカルの人の助っ人などをしながらふらふらしていました。

 

親族も含め、直接的な震災の影響を受けていないので、そのぐらいの印象しかないです。そのころは音楽の事と自分の事しか考えてなかったのです。

 

なんとなく、震災の被害に合う気がしないので、なんの備えもしていません。

どんな状況でも生き抜ける強い精神と肉体の為に鍛えている事ぐらいかな。

 

 

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